2024年6月21日(金) | by 本部サイト編集 コメントする

 卒業30周年記念会では同期539名の4割弱が鐘ヶ坂「吉祥苑」に集まり、以後も各地で度々集ってきた柏九会も、今春4月21日の柏原「喜作」への参集者は54名。健康や親族介護で障害も多い中「ヨウキトクレチャッタ」。特に東京地区からの9名は農業経営の仲間が育てたお土産も頂きました。地元の幹事13名は半分ケアマネです。確認電話を入れると「今日ヤッタコー」の返答もあったとか。

 われわれは、戦時中の先輩方ほど苦労しなかったとはいえ、敗戦の年の国民学校入学では記念写真もなく、高校を出ても神武景気消滅で3月になるのに就職先未定の友もいました。進学組も大変です。都会の生徒は旺文社や有名予備校の模試を絶えず受け、夏・冬休みの集中講習もあって自分の学力が客観的に分かるのに、田舎ではそれもなく「井の中の蛙」で入試に向かいます。
 運動も勉強も「都会に負けるな」が合言葉だったね、と述懐する一日となりました。次の卒業70周年記念会は阪神地区の担当です。「アンジョウお願いします」。

 記・徳田八郎衛(東京柏九会)

(丹波新聞)

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