2023年3月31日(金) | by 柏陵ウェブ編集部 コメントする

 柏原高校25回生で、県立歴史博物館ひょうご歴史研究室たたら製鉄研究班研究員の村上泰樹さん(68)=明石市在住、柏原町柏原出身=がこのほど、母校で開かれた「柏陵セミナー&『ようこそ先輩』」の講師として招かれ、「考古学からみた丹波の歴史」と題して講演した。1、2年生(計394人)と同窓生ら約15人が参加。村上さんは、約3万年前の旧石器時代にナウマンゾウなどの大型動物を追い求め、旧石器人が丹波市までやって来ていたことが春日町七日市遺跡の調査で明らかになったことや、今も残る古代の地名を紹介し、地域の歴史の奥深さを伝えた。柏陵同窓会と同校の共催事業。要旨は次のとおり。
 現在の春日インターチェンジ辺りにある七日市遺跡は旧石器時代の遺跡としては近畿最大級。後期旧石器時代に活動したホモ・サピエンス(新人)がナウマンゾウなどの大型獣を狩るキャンプ地にしていた。

 同遺跡には、約2万5000年前に鹿児島県の姶良カルデラから飛んできた火山灰が堆積した20cmほどの層が見られ、その下からは、地元の石で作ったやりの先に付ける石器や、刃の部分だけを磨いた局部磨製石斧などが数多く見つかっている。同石斧は、大型獣の関節部分を切り離したり、皮を剥いだりする解体用のおのとされる。全国135カ所から500本程度しか見つかっていない同石斧が、同遺跡からは16本も発見された。
 当時、同遺跡の西側の船城辺りは湿地帯で、ナウマンゾウやオオツノジカといった大型獣が、陸地だった瀬戸内海から加古川沿いに低地帯の氷上回廊を北上するルートになっていた。ホモ・サピエンスはこれらの大型獣を待ち構え、沼に追い込んで狩るために七日市をキャンプ地としていたという学説がある。
 現代にも残された古代の地名「丹波」の由来には諸説あるが、私は「田庭(たにわ)」とする説ではないかと考えている。田んぼの庭という意味。お米がよく取れる地ということ。古事記(712年編さん)には「旦波」「丹波」が併記され、日本書紀(720年編さん)で「丹波」の字に統一されている。

(丹波新聞)

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