1951年の創設から今年で70周年を迎えた柏原高校の同窓会「柏陵同窓会」。その歩みや、取り組んだ事業を振り返るとともに、2期6年間、同窓会長を務め、今年5月に退任した竹内牧人さんに思い出を聞いた。
旧制柏原中学校と柏原高等女学校が統合し、48年に今の柏原高校が誕生したのを受けて、柏原中と高等女学校の両同窓会も合併することになり、50年に合同準備委員会が結成され、財産処分協議会などの手続きを経て翌51年5月に柏陵同窓会が創設された。
当時の会員はおよそ8000人。初代の同窓会長には永井幸太郎氏が選ばれた。永井氏は山南町下滝の生まれで、旧制柏原中の第4回生(1905年卒)。今の「双日」につながる商社「日商」の社長を務め、戦後まもなく、当時の吉田茂首相に請われて貿易庁長官を務めた人物だった。
明治30年(1897)、県立柏原中学校として創立されたのを始まりに、124年の歴史を刻んだ中で4万2000人近い卒業生を送り出した柏原高校。卒業生は各地に散らばり、それぞれの地域に柏陵同窓会の支部がある。現在は、東京、東海、京滋、阪神、篠山の各支部があるが、かつては東京、大阪、京都、神戸、多紀、東播、福知山の各支部を擁した。
柏陵同窓会の歩みの中で特筆すべき事業は、母校の創立100周年を祝う記念事業として取り組んだ同窓会館「柏陵会館」の建設だ。93年から募金活動を始め、9000人近い同窓生から約2億8000万円余りの寄付を集めた。募金活動はバブル崩壊後に始まり、95年には阪神淡路大震災が発生。悪条件下にもかかわらず、多額の浄財が寄せられ、創立100周年を迎えた97年に完成した。
校門近くに立つ柏陵会館は鉄筋コンクリート造りの2階建て(一部3階建て)で、延べ床面積は約1150平方メートル。1階には会議室や歴史的資料の展示室、部活動などで使う24畳の合宿室のほかにシャワー室があり、2階には各種の集会に利用できる375平方メートルの広さのメインホール、3階には34畳の合宿室を設けている。柏陵会館は、同窓会活動の拠点になっているほか、在校生の学習や部活動などに活用されている。
柏原高校のグラウンドの隅に立ち、柏高のシンボルとなっているクスノキの再生に取り組んだのも同窓会の大きな事業だった。旧制柏原中学校の第1回生の卒業時に植えられたクスノキは、歳月の流れに樹勢が衰え、今後が危ぶまれた。このため、同窓会創立60周年事業として「くすのき基金」を創設。同窓生から寄せられた浄財をもとに、クスノキの治療や環境整備が行われ、見事に再生した。
1952年に開いた柏陵同窓会の第1回総会の記念写真
母校創立120周年祝賀会を開催
2015年から会長を務めた6年間の中で、もっとも思い出に残るのは、同窓会が主体となって17年に開催した柏原高校創立120周年の記念祝賀会だ。
出席者は400人前後と予想された。柏原高校近くの会場で、それだけのキャパシティがある所となると、柏原住民センターのアリーナしかなかったが、市の施設で飲食をするということで難しい面があった。しかし何とかクリアし、アリーナで開催でき、約350人の参加を得た。宝塚ホテルのスタッフによるケータリングで料理を提供し、出席者に喜んでいただいた。開催にこぎつけるまでずいぶん骨を折ったこともあり、いい思い出になっている。
私は柏原高校の教頭を務めたことがあり、父も母も戦後、柏原高校の教壇に立った。同窓会の支部の総会に出席した際、父や母から教えてもらったという人に出会えた。また、この任に就いていなければ出会えない人たちと知り合え、私にとって貴重な財産となった。
柏原高校は元首相の芦田均、元貿易庁長官の永井幸太郎、歌人の上田三四二、俳人の細見綾子など多くの著名人を輩出したのをはじめ、世界を股にかけて活躍している卒業生がいる。120余年の伝統は伊達ではなく、たいした学校、すごい同窓会と認識を新たにした。(談)
前同窓会長 竹内牧人さん
前同窓会長 竹内牧人さん
丹波市柏原町柏原。1967年卒。元三田西陵高校校長。09年から3年間、柏陵同窓会副会長、15年から会長を務めた。