2011年6月23日(木) | by 柏陵ウェブ編集部 1 コメント

 旧制柏原中学校と柏原高等女学校の同窓会組織が合併し、1951年に発足した柏陵同窓会。会報には、各界で活躍する同窓生らが原稿を寄せているが、そのなかには、文部大臣や経済企画庁長官などを歴任した政治家、有田喜一(大正8年、 柏原中卒)や、歌人で文芸評論家の上田三四二(昭和16年、柏原中卒)がいる。

有田喜一や上田三四二ら寄稿

 66年の柏陵同窓会報に有田が寄せた原稿「思い出」では、「イガ栗頭に柏中の帽子をかぶり、ゲートル巻きで雨の日など、汗と泥にまみれて通学したあの青春時代の記憶がまざまざと私の脳裏で生きている」などと中学時代を回顧。「私らは山奥育ちの世間知らずであっても、ねばりとファイト、培われた根性で、都会育ちに追いつき、追い越したものと思うが、これらは総て柏中時代に育まれたものと今でも大いに感謝している」と記している。

柏原高校同窓会報

歌人で文芸評論家の上田三四二が同窓会報に寄せた原稿用紙。推こうの跡がうかがえる原稿用紙で、学生時代の思い出などをしるしている

 上田は、87年に「受験時代」と題した原稿を同窓会報に寄せた。「私は発展したいまの町の写真を見るのがこわい。高校となった今の校舎を見るのはもっとこわい」などと記したあと、学校時代を振り返り、「クラスは一体となって『考え方』という受験用の模擬試験にいどんだりした。頭は受験のことでいっぱいだった。その大事な二年間の記憶を消したくないばかりに、私は現在の写真がこわいのだ。土を踏むのは、もっとこわい」と書いた。
 上田が、同窓会に寄せたこの原稿用紙は、柏陵会館に保管されている。

1件コメントがあります

  1. 高見 秀史 より:

     本部のホームページから、母校の様子や歴史などいろんな事柄が伝わるようになり、初めて知るお宝情報もあり楽しみです。

     コンテンツ作りや編集・更新などご担当にはご苦労が多いと思いますが郷里を遠くする者たちにとっては何よりの絆となります。
     特に画像・映像情報が目を引きます。

     上田三四二が大先輩であったことは初めて知りましたが、推敲された原稿をもっとよく見たいのですができればPDFなどもお使いいただくことが可能ならばありがたく思います。

     よろしくお願いいたします。

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