旧制柏原中学の音楽教師をしていた犬童球渓が作詞した名曲「旅愁」の記念碑を、丹波市柏原町のたんば黎明館(旧柏原高女跡)前の道路向かいに建てる計画が立てられ、建立委員会(進藤凱紀会長)が市民らから広く寄金を募る活動に乗り出した。平成の年号が改まる来年5月1日の完成式を目指している。
計画によると、記念碑は丹波の自然石(幅1.6m、高さ1.6m)に黒御影石をはめ込んで「更けゆく秋の夜 旅の空の」で始まる旅愁の歌詞を刻んだもので、犬童球渓の人物紹介やこの詞を作った経緯などを解説した副碑を添える。さらにその横にボタンを操作すると旅愁の曲が流れる音響装置を設置。曲は市内の合唱グループが歌う。予定している市有地の借用許可も得た。
費用は、建立後の管理維持費なども含めて約300万円を見込み、10数人の会員有志の間でかなりの額を用意しているが、柏原高校のOBを初めできるだけ多くの市民に参加してもらうため、1口5千円で寄付を募り、応募者の名前を解説碑の裏側に刻む。申し込み、問い合わせは進藤会長(0795・82・4145)まで。締め切りは来年3月末。4月に着工し、同月末までに完成させる。
犬童球渓は東京音楽学校(現東京芸大)を卒業した明治38年(1905年)、創立間もない旧制柏原中の音楽教師として赴任。漢詩や和歌にも造詣が深かった。しかし〝蛮カラ〟な気風の生徒たちから受け入れられず、失意のうちに新潟の女学校に転任。同地で、米国の音楽家、オードウェイの原曲に乗せて「旅愁」を作詞。たちまち全国に広まった。
柏原は失意の赴任地ではあったが、故郷の熊本の山河に似た土地には愛着があったようで、後に柏原中校歌の作曲も引き受けている。
予定地は柏原高校生らの通学路に当たり、隣には田ステ女俳句ラリー実行委員会が昨春、選者5人を顕彰するために作った「句碑の庭」がある。進藤会長は「計画は10年ほど前から温めていたが、今年は『童謡唱歌百年』の年でもあり、たんば黎明館を訪れる観光客らから一層脚光を浴びると期待している」と話している。
(丹波新聞 )
熊本県人吉市の出身です。現在は山梨県に住んでいますが、昨年は喜寿の同級会で人吉に行ってきました。その際、犬童球渓先生の生家にも寄りました。今は「犬童球渓記念館」になっています。私も中学生の頃吹奏楽部に入っていましたので、毎年秋には犬童先生の記念音楽祭が開催され、その席には犬童先生の奥様も出席されていました。白髪のとても上品なお方でした。一人娘の「としさん」は、とても元気のいい先生でした。貴地に記念碑が建てられたことを知り、とてもうれしく思います。機会があれば訪ねてみたいと思います。